輝く海外女性拳士
Suzuko Okamura Hamasaki  -アメリカ編-
京都と浜崎鈴子 No.3

渡米の目的は何ですか?

英語研修のため。京都の高校で英語の教師をしていたのですが、聞けない・話せない英語の先生では仕方がないと思い、8ヶ月の予定で渡米したことは、2)でお話しましたので、ご参照下さい。

ここでは、今から英語留学をしたいと思っている方にアドバイスを数点。本当はイギリスに留学したかったのです(British Englishの音がとっても好きなのです)が、英語学校はアメリカの方が充実していました。アメリカは普通の公立大学(カリフォルニアではUniversity of CaliforniaCalifornia State University)のExtensionプログラム(市民講座のようなもの)に英語短期留学コースがあるのですが、イギリスは英語学校はプライベートな学校しかありませんでした。イギリスの事情が今も同じかどうかは分かりませんが、もし大学に上がって勉強したいという希望であれば、アメリカに留学することをお勧めします。

それから、英語圏に6ヶ月もいると英語がペラペラになると考えている人がいると思いますが、全くの誤解です。半年で上手になろうと思えば、カリフォルニアのように移民の多い所は避けた方がいいです。周りに全く日本人がいない所(例えば、ワイオミングとかオクラホマとか)であれば、可能かとも思いますが、カリフォルニアに来て日本人ばかりのクラスに入って英語を勉強しようと思っても、先ずは無理です。ちなみに、私のいる南カリフォルニア、オレンジカウインティーには、日系企業、駐在員、日系人が大勢住んでおり、マーケット、本屋、レストラン、それに自動車修理まで一切日本語だけで生活できます。ですから、本人に硬い意志か、明瞭な目的がない限り、お金と時間の無駄使いということになりかねませんので、注意して下さい。「アメリカに行けば何とかなる」というより「日本での実績をアメリカで更に伸ばす」という心構えでないと成功しないと思います。

ご研究はどのようなことをされたのですか?

専門は言語学と言語教育法で、カリフォルニア大学アーバイン校(UC Irvine)11年間教鞭を取りましたが、先ずアメリカに来た理由からお話した方がいいと思います。

実は、中学生の頃から英語が大好きで、大学も英文科に進み、卒業後は母校の京都女子高校で英語を教えていました。当時の日本の(今でもかもしれませんが)英語教育は文法と翻訳が主で、文の書き換え(例えば、2つの文を関係代名詞=whichthatなどを使って1文に書き換える)なども大学受験英語に必要なため、盛んに行なわれていました。しかし、アメリカやイギリスから留学生が来ると、ペラペラとカッコよくコミュニケーションできる英語の先生がいない!(もちろん、自分も含めて。)このまま、英語を聞けない、話せない先生で終わるのかと思うと、ぞっとしました。いつか、きっと英語留学を果たしたい、と思い始めたのが、英語教師時代―24歳の頃でした。結局、実行したのは28歳になった時でしたが、これは、25歳から3年間は空手の現役選手として空手に勤しんでいたからです。この辺は話すと長くなるので、とりあえず、28歳(1983年)に飛びましょう。

アメリカの大学には市民向けの部があります。Extensionと言いますが、UC IrvineExtensionがやっていたESL (English as a second language=第2言語としての英語)8ヶ月の予定で英語研修に来ました。来たばかりの時は、アメリカのスケールのデカさに驚く一方で、アメリカ人の話すことがよく分からなくて、毎日がチャレンジと頭痛の連続でした。でも、幸い、文法力があったので、クラス分けテストの結果、上のレベルに入ることができました。そして、2学期目になると、アメリカ人向けのクラスも取らせてもらえるようになり、Teaching English as a Second Language(第2言語としての英語教授法)の免許取得を目指しました。取得には1年かかるので、滞在期間を延ばし、1年後には無事目的達成しました。この頃、アメリカでは従来のGrammar-Translation(文法・翻訳)法という外国語教授法が下火になり、換わってNatural Approach(自然法)という新しい教授法が脚光を浴びていました。簡単に言うと、母国語(Native language, Mother tongue)を習得(acquire)するように、外国語も学べるという理論です。
考えてみると、子供が母語を習得するのは、先ずCaregiver(親)の言っていることを聴き、1年位で話し始め、4,5歳になると文字を覚え、本が読めるようになります。そして、小学校に上がって文を書き始める。従って、Natural法の教授は1)聴く、2)話す、3)読む、4)書く、の順序で行なわれます。おもしろかったですね〜、この理論は。日本で英語を学んだ方法と全く逆方向なのですから。それに、アメリカ人の先生の授業が楽しいのです!皆、すごく工夫して教えてくれるのが、印象的でした。ですから、免許を取った時には、日本に帰ることよりも、この教授法でアメリカ人に日本語を教えてみたいという思いの方が膨れ上がり、大学から1年間のTrainingビザを出してもらい、居残った訳です。

そうしている間に、夫になる人と出会い、結婚後はカリフォルニア州立大学で言語学の修士号を取りました。修士論文は日本語の音韻論でした。それまで知らなかった日本語のの統語論(いわゆる文法です)や音の研究をするにつれ、どれだけ自分が日本語のことを知らなかったのかと痛感させられました。そして、カリフォルニア大学で教え始めてからは、更なる日本語の発見がありました。例えば、私達日本人は「は」と「が」をいとも簡単に感覚で使い分けますが、これが外国人には難しいのです。「あの人はアメリカ人です」と「あの人がアメリカ人です」とは確実に違うのですが、どう違うのか。また、英語では「(物を)あげる」も「くれる」も“Give”なのですが、日本語では2つのGiveを自他の違いで使い分けるわけです。それも、対人関係でまた変ってくる、という複雑さが含まれます。敬語に至っては、横社会人間にとっては、コンセプトから叩き込まないと、言葉だけの問題ではないのです。こういう経験をしている内に、日本語を通じて日本文化の価値観や考え方を改めて学んで行った次第です。

それで日本語の教師になられたのですね

カリフォルニア大学の学生と一緒に過ごした11年は大変楽しいものでした。こちらの大学生はよく勉強します。生まれて初めて日本語を学ぶ生徒達でしたが、1学期間(10週間)で、全ひらがなとカタカナ、そして漢字を50マスターして行きました。教え子の中には日本に留学したり、文部省が主催しているJETプログラムで日本の中学校に英語を教えに行った生徒達もいます。皆、日本が大好きで、日本語を教えることが立派な国際親善になると思いました。

事情があって、2002年に大学の教壇を去り、ある会社のマネージメントに携わることになりました。マネージメントは全くの専門外ですが、これまた新たなチャレンジの連続で、飽きることがなく緊張しながらも楽しい毎日です。

仕事はこのようにして来ましたが、仕事と家庭の用事の合間に空手の指導をしています。道場は夫と二人三脚で1996年からやっています。週2回子供と大人のクラスで指導し、土曜日は自分達の稽古です。指導は全てボランティア。アメリカの子供のチームスポーツが地域の大人のボランティアで成り立っているように、私達も地域のボランティア活動としての空手の地位を築き上げたいと思っています。道場のことは、後でもっと詳しく紹介させて頂きます。


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