ご家族のことを教えてください。
私の空手のパートナーである夫は11歳の時に家族とアメリカに移住した薩摩隼人(自称)です。空手は16歳の時に近くで日本人指導者が開いていた糸東流系道場で始めました。理由は、日本人としてのアイデンティティーを武道に求めたからです。文化というのは不思議なもので、そう簡単に消し去ることのできないものです。アメリカの学校にアメリカ人と共に行っていても、アメリカ人になろうといくら頑張っても、アメリカ人にはなれない、と自覚する時が必ずあります。そんな時、自分の居場所を探し出すティーンエージャーが多いのです。夫もその一人だったのかもしれません。その後、3人の先生に師事し、1986年には第8回世界大会にアメリカ代表選手として参加しています。現在は、自分が経営する会社をやり繰りし、何とか週2回の指導と1回のトレーニングをこなしています。
子供は大学生になる息子が一人です。スポーツは色々やりました。小学校から野球、サッカー、バスケットボール、高校ではクロスカントリーと陸上をやりました。空手も4級まで行ったのですが、全く興味がないということで、2年ほど休んでいます。息子さんが大活躍している先生方(例えば、ハワイのジョージ小高選手)を見ていると、どうやって育てられたのだろう、と羨ましく思います!ま、息子には息子の人生があるさ、と思って、若干の寂しさをこらえています….
それから、ペットの柴犬のタローも大切な家族の一員です。まもなく、7歳になりますが、主人を噛むのが趣味というような、かなり気性の激しいところがありますが、澄んだ目で見つめられると、疲れも癒えます。
米国で感動した出来事は?
在米24年間の中で感動したことも失望したこともありますが、ご質問通り感動“編“をご紹介しましょう。先ずは、学生生活時にルームメートと住んでいた時のこと。ルームメートはシングルマザーの医大生でした。3歳の女の子を育てながら、医者を目指して医大で勉強している人でした。この彼女と私は折を見ては一緒にジョギングしていたのですが、ある日のこと。私達が元気に走っていると、ふと車椅子に乗った人が道角から出てきたのです。相手は足の不自由な人。私達は足取りも軽やかに楽しくジョギングです。あっと思った私は相手に悪くて思わず立ち止まろうとしたのですが、彼女は”Do you wanna(want to) join us?(一緒に走らない)”と実にあっさりと言いのけたのです。彼女は”本気で“そう言ったのです。車椅子に乗っていたって私達と同じように走ろうと思えば走れる、というのが彼女の考えだったのです。一方、私は車椅子の人は走れないという偏見を持ち、自然と差別してしまっていたのです。自分が恥ずかしくなりました。
後は、一般的な話になりますが、息子の中学・高校を通じて感じたことを一つ。アメリカ人の親はよく動きます。ボランティア精神旺盛で大変活動的です。私も日本人としては活動的な方だと思っているのですが、比べ物にならないほど皆時間とエネルギーを使うことを惜しみません。PTAは勿論、スポーツクラブも保護者会(Booster Parents)がないと成り立ちません。ホームゲームの手配や手伝い、寄付金集めと管理、選手のサポートなど、見事な手腕を発揮します。ただ、システム管理をするだけではなく、どうしたらクラブを活発化できるかとか、支援金が集められるかとか、アイデアを出し合い、それが決まれば、次の日にはもう行動して物事が進んでいるという具合です。それが、自分の子供だけのためではなく、チーム全ての子供達、学校、しいては地域コミュニティーのためという大きな使命感に支えられているのです。この人達から学んだことは、私の空手道場の活動にも大変役立っています。
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