ご指導されている空手道場のことを教えてください。

地域スポーツのNPOとして、1996年に夫と私で始めました。現在、私達の他に3名の準指導員55歳のロシア人女性、33歳と30歳の中国系アメリカ人男性)と高校生のアシスタント2名(日系人)がボランティアで週2回指導に当たっています。生徒数は60名。成年部、中高生部、小学生部が夫々3分の1ずつ。駐在員の多い土地柄、日本人駐在員の子弟が多くいますが、この23年は駐在員の帰国が増えたため、日本人でも永住者が増え、その他はアメリカ人や外国からの移住者も多く来ています。場所は、近くの高校とコミュニティーセンターを週1回ずつ借りています。自分の道場(場所)を持つのが将来の夢ですが、あくまでボランティア活動でやりたいので、経費節約のためには現在の賃貸形態が無理ないようです。道場生も親も皆、私達の活動をよく理解して支援してくれているのは、有難いことだと思っています。

 浜崎先生は、アメリカでは、どのように呼ばれていらっしゃるのですか?

一般的にアメリカの空手の先生は「Sensei……」と呼ばれています。Senseiというのがタイトルになっているのです。道場内で生徒が先生を呼ぶ時に「Sensei」、あるいは「Shihan」などを使っている道場もあります。私の道場では先生が二人(夫と私)いるので、区別するためそれぞれのファーストネームで「Nori Sensei」「Suzuko Sensei」と言っています。やはり、私は日本で教育を受けたので、生徒には「先生」という言葉を付けて呼んでほしいと思うのですが、アメリカで教育を受けた夫は「先生」と呼ばれることを嫌います。自分を生徒の上に置き、偉そうにするのが嫌だというのです。従って、日本人以外の生徒は先生である夫のことを俗称の「Nori」と言うことが多いです。これも、上下関係で成り立つ縦社会とは違う横社会ならではかもしれません。

 米国で空手道場を開くには、特別な手続きや難しさなどありますか? 

格闘系だけでなく全てのスポーツ活動をするのに、傷害保険が必要です。アメリカ社会は色々な面で訴訟問題が多いので、万が一のために必需です。 場所探しや活動資金捻出などに関しては、あまり日本と変わらないのではないかと思います。

 指導をされる時、特に心がけることは何ですか?

稽古日は仕事を少し早めに切り上げさせてもらい、自分の気持ちを指導モードにまで高めておきます。バタバタと精神的に落ち着かない状態で行くと、特に子供達にその悪影響が反映し、指導が上手く行かないことが多いのです。ですから、1時間はゆっくりと「今日は何を指導ポイントにしようかな」と考えてから道場に向かうようにしています。

それから、日本では「繰り返し練習」が心身の鍛えになるという文化的背景があるのですが、アメリカでは同じやり方で教えていると、boring(面白くない)と面と向かって言われてしまいます。ですから、指導法も“飽きさせない”ようにする必要があります。例えば、基本稽古をするのも、立ち方・方向を変えたり、一人から二人でさせてみたり、並び方を変えてみたりとか、色々工夫します。それと、今日の練習では「何を得られたか」という満足感を得られるようにプランを組みます。その日のゴールが曖昧だと、生徒が満足感を得られないだけではなく、指導者も指導しにくくなります。
基本的に、いつも私は「自分が何を練習したいか」を基準に指導案を組むので、私自身の満足感はいつも高く保っています。指導者が情熱的かつ興味深くいれば、指導される側も必然的に楽しめるのではないかと思います。後は、「来てよかった!」と思って帰らせることができれば、最高ですね。それには、必ず一つは褒めてやること。これは、大人も子供も変わりません。人間は皆、努力に対する評価をもらうことで、明日への希望と力を得て生きていくものです。「お前、ぜんぜん上手くならないな」と言う言葉より「今日も練習に来て、よくがんばったね」と言って、気持ちよく帰らせてやることが大切なのだと思います。

 空手道に関し、日本と米国と異なる点はありますか?

マイナースポーツであることに変わりありませんが、米国では空手道は“道”ではなく“karate”です。スポーツ社会学的観点から言うと、日本の武道とアメリカのチームスポーツは、その文化圏が長年育んで来た社会的価値観を反映しています。武道は日本人が国家社会に役立つ人材となるために必要な価値観と行動様式を教えることを目的としています。言い換えれば、戦後輸入された西洋スポーツ(野球、バスケットボールなど色々)には“(日本)国家社会”に役立つ人材作りという概念がないのです。一方、アメリカにおいて、チームスポーツBaseball, Basket ball, Foot ballCommunity(地域社会と国家)に役立つ人材作りという考えが濃厚に出ています。従って、これらは日本の武道のように国家的身体活動となっています。そういう意味では、アメリカでの空手の存在は、あくまで東洋から入って来たMartial Arts ”Karate”であるだけで、国家社会に繋がるような教育目的はなくなります。一言で言うと、ある文化圏で生まれ育ったスポーツ活動には、その文化圏(=国)独特の美意識が存在するということです。ですから、空手“道”は日本文化の象徴であり、Baseballなどのチームスポーツはアメリカ文化の象徴であると考えると、空手“道”はアメリカには存在しないということになります。いや、アメリカ人にも空手道は理解できる、と言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、案外、Karate家ではなく、社会学者や教育学者の中に理解している人がいるのかもしれません。


浜崎鈴子(前列右端)と道場生
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